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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)12178号 判決 1994年4月13日

原告

田代和子

小山京子

右訴訟代理人弁護士

岸本佳浩

原告

中村俊雄

右原告ら三名訴訟代理人弁護士

石川寛俊

被告

相原病院こと

相原正雄

友紘会病院こと

林豊行

右被告ら訴訟代理人弁護士

佐古田英郎

右訴訟復代理人弁護士

西野佳樹

主文

一  被告林豊行は、原告田代和子及び原告小山京子に対し、それぞれ、五七五万円、原告中村俊雄に対し六三九万九三九〇円並びに右各金員に対する昭和六二年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告林豊行に対するその余の請求及び被告相原正雄に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用の五分の一と被告林豊行に生じた費用を被告林豊行の負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告相原正雄に生じた費用を原告らの負担とする。

四  この判決は、一、三項について仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告らに対し、各自一二〇一万四七三三円及び右各金員に対する昭和六二年七月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告田代和子(以下「原告田代」という。)、同小山京子(以下「原告小山」という。)、同中村俊雄(以下「原告中村」という。)は、いずれも中村春巳(大正六年二月八日生、死亡時七〇才、以下「春巳」という。)の子である。

(二) 被告相原正雄(以下「被告相原」という。)は、大阪府箕面市<番地略>の相原病院を経営し、かつ自らも診療に従事する医師である。

被告林豊行(以下「被告林」という。)は、大阪府茨木市清水一丁目三四番一号所在の友紘会病院を経営し、かつ自らも診療に従事する医師である。

2  医療事故の発生

(一) 春巳は、昭和六二年七月八日夕方友人と一緒に自家用車で大阪府箕面市に所在する箕面公園に夕涼みに来ていたが、同公園内にある河原に降りようとしたところ誤って転落した。右転落によって、春巳は、左胸腹部、頭部及び左腕を打ち、同日午後五時〇七分箕面市消防隊の救急車で相原病院へ搬送され、被告相原の診療を受けることになった。

(二) 春巳は、被告相原に対し、胸から腹にかけての激痛を訴えたため、被告相原は、まず、頭部と胸部についての受傷を念頭に置いて問診し、左前腕部、頭部及び肋骨のレントゲン写真を撮影した。その結果、春巳の意識ないし呼吸状態には格別の異常が見られなかったことから、安心して、春巳の症状に対し、左第一〇肋骨骨折、頭部、左前腕部打撲挫創と診断し、肋骨固定バンドを施して、鎮痛剤や消炎剤等を四日分処方したに止まった。つまり、挫創や肋骨骨折に伴う痛みだけが治療の対象となっただけで、肋骨骨折に付随する脾臓損傷については全く念頭になかった。

(三) 春巳は、箕面公園に自家用車を置いたままであったため、相原病院からタクシーで箕面公園まで戻り、自家用車を運転して帰宅しようと箕面市西宿二丁目付近路上を通りかかった。

ところが、同日午後八時頃、胸腹部激痛と悪心のため自家用車の運転が不能となり、同所付近で嘔吐し三〇分から四〇分の間同所で停車したまま安静にしていた。しかし、状態は一向に改善せず苦しんでいたため、近くの人が救急車を呼び、再び午後九時二三分箕面市消防隊の救急車で友紘会病院へ搬送され、同病院の当直医師吉崎恭史(以下「吉崎医師」という。)の診療を受けることになった。

(四) 吉崎医師は、消防隊員及び春巳から、春巳が二メートルの高さから転落して受傷し、近医で左肋骨骨折と診断された旨及びその後徐々に左胸部及び左上腹部の痛みを自覚し、車の運転途中で気分不良となり、嘔吐し、救急搬送された旨の来院経過並びに現症を聴取した。

吉崎医師は、春巳を診察したところ、同人の左季肋部を中心とする強い圧痛と腹部膨満を認めたが、筋性防御は認められなかった。吉崎医師が当初診察した時点では、春巳の意識は清明であったが、胸腹部のレントゲン写真を撮影した際、春巳は痛みのため立てない状態であったが、吉崎医師は、春巳を支えて立位のレントゲン写真を撮影した。

春巳のバイタル・サインは、吉崎医師が当初診察した時点では、脈拍が八〇程度、触診による最高血圧が一〇〇であったが、同日午後一〇時一〇分には、最高血圧が七〇に低下していた。吉崎医師は、春巳の時間尿量、中心静脈圧は、測定しなかった。

同日午後九時四三分採血し、九時五五分に結果が判明した血液ガス分析の結果によると、著明なアシドーシス(酸血症)が見られ、春巳が極めて重篤である(高度のショックに陥り生命に危機がある)ことを示しており、右採血時には春巳の血圧はかなり下がっていたと推測できる。また、同日午後一〇時一〇分に採血し、一〇時三〇分に結果が判明した血液検査によると、春巳が著明な貧血の状態に陥っていることが疑われた。

しかし、吉崎医師は、これらの受傷機転、診察所見、検査結果等が肋骨骨折の存在(レントゲンフィルム)、腹腔内出血の進行(腹部の状態)、大量出血の進行(血液検査)、末梢組織血流量の減少(血液ガス分析結果)を示していることを理解できなかった。

そのため、吉崎医師は、輸血の必要性、医師の応援の必要性の判断ができなかった。

(五) 同日午後一〇時三〇分頃、吉崎医師は、春巳の血圧が低下しショック状態になっているのに気づいて、被告林の応援を求めたが、春巳は既に出血性ショックの進行のため瞳孔散大、心停止に至る状態であった。

あわてて林医師によって昇圧強心剤の投与や心臓マッサージが施行された後、同日午後一一時四〇分以降になってようやく輸血が開始され、翌九日午前〇時一五分から脾臓摘出術がなされたが、既に春巳の腹腔内には三五〇〇ミリリットルもの出血があって出血性ショックが進行し、回復しないまま、遂に同日午前九時一三分、春巳は、脾臓破裂により失血死するに至った。

3  被告らの責任

(一) 脾臓損傷の診断方法

(1) 受傷機転

脾臓は、左季肋部腹腔深部に位置し、横隔膜、胃、結腸、腎との間に靭帯があり固定されているので、軽度の外力では損傷されないが、強い鈍力が働くと固定部にて移動が阻止されて容易に脾臓内に破裂を生じて脾臓破裂をきたす。衝突、殴打等で左側の胸、背部下部や左側腹部に強い鈍的外力を受けたときに発生しやすく、特に左側第八ないし第一〇肋骨に骨折がある場合、医師は、脾臓損傷を念頭に置かなければならない。

(2) 臨床所見

脾臓破裂の症状は、腹腔内出血によるものである。そのため、一般の出血性ショックの病変と同じように、循環血液量の一五から二〇パーセントまでの出血では、末梢血管の収縮により脈拍や血圧に変化を及ぼさない。

また、腹腔内出血による腹部所見は、圧痛が主であり、筋性防御や反跳痛は腹膜炎のときのように著明ではない。

左横隔下腔の血液が横隔膜神経を介して左肩先に疼痛を訴えるケールサインは、脾臓損傷のわずか一二パーセントに認められるにすぎず、挙睾筋の収縮をきたすこともあるとされる程度である。いずれにしろ、これらの特異的症状はその頻度が少ないので、仮にこれらが存在しないからと言っても、脾臓損傷を否定する根拠にはなりえないものである。

(3) 検査方法

腹腔内出血による全身的な所見は、ある程度の出血が持続していなければ発現しないものであるから、受傷初期の段階では、脾臓部付近の異常を他覚的な検査で把握することになる。

理学的には、脾臓部に摩擦音や打診上の濁音の変化を聴取することができる。これは、出血部位近くの貯留物の存在を確認するものであるから、前述の臨床所見が発現する以前に把握することができる。

次に、レントゲン撮影で、傍結腸溝の拡大が特徴的所見とされ、脾陰影の増大や横隔膜の上昇等が見られる。

端的に、腹腔内出血を確認する手段としては、エコー(超音波診断)やCT(コンピューター断層撮影)等の画像診断、腹腔内穿刺が有効である。

(二) 被告相原について

(1) 診療上の注意義務違反

前記(一)のとおり、脾臓破裂は、受傷直後には受傷部分の痛みを伴うが、その後は破裂による出血性ショックが進行して症状が出現する。そのため、春巳が相原病院に到着したのが受傷の約三〇分後であるから、被告相原の診察を受けた段階で、春巳に貧血や出血に伴う諸症状が出現しなかったとしても何の不思議もない。

そうであるから、救急外傷患者の診療に当たる医師としては、診察時に腹腔内出血の所見がなくても、受傷機転を聴取して左上腹部を打撲したことを知り、かつ、レントゲン写真により左第一〇肋骨骨折があることを認めた以上、①脾臓損傷を念頭において、血液検査、腹腔内穿刺、エコー、CT、腹部聴診等を行い(なお、腹腔内穿刺は検査に伴って合併症が生ずる危険性があるので、まず、エコーを実施して脾臓損傷の疑いがさらに増せば、腹腔内穿刺を実施することになる。)、また、②時間経過後の観察、さらには、③入院をさせて医師の管理下で経過観察を行う義務がある。

にもかかわらず、被告相原は、春巳の意識状態や呼吸状態に格別の異常が見られなかったことから安心して脾臓損傷について全く念頭に置かず、右①ないし③の義務を怠った過失がある。

なお、仮に右諸検査の代替措置として患者の経過観察を行うということが許されるとしても、この場合の経過観察は、「何かあったら近医でみてもらいなさい。」などと告げる程度では到底不十分である。本件でもそうであったように、患者の次におこる異常は出血性ショックにほかならないから、これに対しては急速大量輸血と脾臓摘出術が不可欠であり、近医でみてもらうなどという悠長な事態では生命にかかわるのである。被告相原が、本当に春巳に対しこのような指示しか与えていないというのであれば、これはとりもなおさず被告相原が事態の深刻さに思い至らなかったことの表れである。

(2) 被告相原の過失と春巳の死亡との因果関係

友紘会病院で摘出された春巳の脾臓は、まんじゅうがパクッと割れたように表と裏から破裂していたもので、粉砕型と呼ばれる損傷状態であり、この損傷状態からするとかなりの外力が作用したと考えられる。

一般に、脾臓の被膜は、菲薄で容易に損傷しやすいものであるため、本件ほどの深い破裂がありながら被膜だけが温存されていたと考えることはできない。

また、いわゆる脾臓の遅発性破裂とは、受傷後四八時間以上経過してから破裂するものであり、本件には該当しない。

以上からすると、被告相原の診察を受けた時点で、春巳の脾臓の被膜は破裂していたといえるから、被告相原が、脾臓損傷を念頭に置いてエコー、CT、腹腔内穿刺、腹部聴診等を行っていたならば、春巳が脾臓破裂を起こしていると診断することができ、その結果、脾臓破裂に対する処置が行われ春巳を救命することができた。

(三) 被告林について

(1) 診療上の注意義務違反

前記2(四)記載の所見や検査結果からすると、救急外傷患者の診療に当たる医師としては、①患者には腹腔内出血が生じており、②そのため強度の貧血があり、③しかも、ショック状態に陥っていることがうかがわれるから、春巳に対し循環血液量の補給すなわち大量の輸血・輸液を至急開始して出血性ショックの進行を防止すべき義務がある。

本件では、血液ガス分析の結果は、午後九時五五分に判明しており、血液検査のための採血をした午後一〇時過ぎには春巳の病状は明らかに腹腔内出血による高度のショック状態であったのであるから、救急外傷患者の診療に当たる医師としては、午後一〇時には、春巳に対し急速輸血を開始すべきであったといえる。

しかるに、吉崎医師は、左上腹部打撲あるいは左前下部肋骨骨折に脾臓損傷が合併しやすいことの認識を含めた外傷性損傷に関する認識が欠如していたこと、及び、前記の臨床所見及び諸検査の結果を分析する能力ないしは診断する能力がなかったため、春巳について腹腔内出血を疑って輸血の必要性を判断することができず、輸血が遅れたことに過失がある。

なお、吉崎医師は、昭和六一年六月に医師免許を取得したばかりの研修医で、専門は脳神経外科であったが、右のような事情により救急医療の水準の低下が許容されるのであれば、救急医療の水準は医師の最低水準まで堕落してしまうことになるから、かような、未熟未経験な医師を基準に救急外傷患者の診療に当たる医師の注意義務を検討すべきではないことはいうまでもない。右のような場合、未熟未経験な医師に専門外の治療に従事させること自体に過失があるというべきである。

また、本来はどんな標榜科目(各専門領域は、学会認定の専門医制度を除けば全て医師本人が自由に標榜できる。)であろうと、後述する省令の①②の基準を満たしていると自認すれば救急医療に従事できるのであるから、専門外の診療であるからといって医師の診療上の注意義務を軽減することはできないというべきである。

そもそも、友紘会病院は、救急告示病院であるから、不特定多数の患者を緊急に受入れ診療に当たる医療機関として、どの程度の設備水準を備えているべきかが問題となるべきであるが、救急病院等を定める省令では、①傷病者に関する医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること、②手術室…輸血及び輸液のための設備その他…必要な施設及び設備を有すること、が満たされた場合に救急病院として告示されると定められているから、救急告示病院は、右省令の定める設備水準を備えているべきであり、救急医療に従事する医師は、傷病者の治療について水準的な医療を施せる技量(知識経験)を持ち、したがって傷病者に輸血が必要かどうかの判断が下せる技量を有していることが要請されているといえる。

そうだとすると、本件においては、吉崎医師に対して前述したような注意義務を課すことはできるというべきである。

(2) 吉崎医師の過失と春巳の死亡との因果関係

本件においては、春巳が重篤なショック状態に陥ったと思われる午後一〇時三〇分以前の早い時期に輸血及び手術が開始されているほど春巳の救命の可能性が一〇〇パーセントに近づき、およそ午後一〇時頃に輸血が開始され、これとほとんど同時に手術が開始されていれば、かなり高率の救命の可能性があったといえる。

また、急速輸血が午後一〇時頃から開始され、これと平行してその他の各種処置が円滑に行われていれば、その後の急激かつ重篤なショックの進行を防止できたと考えられる。その場合、輸血とほぼ同時ではなくても本件での実際の手術開始時刻よりいくらか早い時期に手術を行っていれば、救命の可能性は大いにあったものと考えられる。

さらに、午後一〇時三〇分以降であっても急速輸血と迅速な手術がなされていれば、春巳の救命の可能性はまだあったのである。

ところで、友紘会病院においては、本件当日、春巳と同型のCRC(赤血球濃厚液)が六本、FFP(凍結乾燥血漿)が二〇本保管されており、しかも本件の手術終了後までに使用したCRCも六本であるから、血液センター等からCRCの配送を受ける時間は必要でないし、本件のように緊急な場合はクロスマッチテスト(交差適合試験)を経ないでCRCの輸血をすることは許される(本件も現にクロスマッチテストを経ないでCRCの輸血をしている。)のでそれに要する時間を考慮する必要もない。

そうすると、吉崎医師に右(1)で述べた診療上の注意義務違反がなく、同医師において本件の場合、午後一〇時までに急速輸血の必要性の判断ができておれば、直ちに輸血を行うことができたのであり、そして、その結果、春巳を救命することができたのであるから、吉崎医師の過失と春巳の死亡との間には因果関係がある。

(四) 以上のとおりであるから、春巳の死亡は、被告相原と、吉崎医師の診療上の過誤が競合して生じたものであるから、被告相原は、民法七〇九条に基づき後記4の損害を賠償する義務があり、被告林は、その開設する友紘会病院における夜間の当直医師として吉崎医師を雇用していたところ、吉崎医師の不法行為は右病院における医療業務の執行中の行為であるから、民法七一五条一項に基づき後記4の損害を賠償する義務がある。

4  原告らの損害

(一) 春巳の損害

(1) 逸失利益 八一四万四二〇〇円

春巳は、死亡当時七〇才の健康な男子であり、無職ではあったが通常の労働能力がありかつ労働意思もあったから、本件医療過誤によって死亡しなければ平均余命である一二年は生存し、そのうち六年間は就労し男子労働者の平均賃金程度の収入を得ることができたはずである。そこで、右逸失利益について、昭和六二年度賃金センサス第一巻第一表産業計、学歴計の六五才以上男子労働者の平均年収額に基づき、新ホフマン式計算法で中間利息を差し引いて、その死亡時における現価を計算すると、次のとおり、八一四万四二〇〇円となる。

317万2900円(年収額)×(1−0.5(生活費割合))×5.1336(新ホフマン係数)=814万4200円

(2) 慰謝料 一六〇〇万円

春巳は、昭和四六年に妻イシに先立たれてから、日新製鋼株式会社に勤務しながら一人で原告ら三名の子を養育し独立させ、同社を定年退職した後も数年間同社に嘱託として働きつづけたが、昭和六二年当時は、大阪市東淀川区で単身生活し老後の余生を楽しんでいたところ、本件医療過誤によって死亡した。春巳の精神的苦痛を慰謝するには一六〇〇万円を要する。

(3) 春巳の損害賠償請求権の相続

原告田代、同小山、同中村は春巳の相続人であるので、それぞれ法定相続分に従い、右春巳の逸失利益及び慰謝料の各三分の一にあたる八〇四万八〇六七円の損害賠償請求権を相続した。

(二) 葬儀費用 一二〇万円

原告ら、春巳の葬儀費用として少なくとも一二〇万円を支払った。

(三) 原告らの固有の慰謝料 各二〇〇万円

原告らが、春巳を失ったことによって被った精神的損害を慰謝するには、各原告について各二〇〇万円を要する。

(四) 弁護士費用 各一五七万円

原告らは、本件訴訟追行を弁護士たる原告ら訴訟代理人らに委任せざるを得なかったところ、本件の内容等に照らし、弁護士費用として、各原告について右各損害金の合計額の一五パーセントにあたる各一五七万円が相当である。

5  よって、原告らは、被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、各原告ごとに一二〇一万四七三三円及び右各金員に対する不法行為の日である昭和六二年七月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(二)の事実は認めるが、(一)の事実は知らない。

2(一)  同2の(一)の事実のうち、春巳が昭和六二年七月八日午後五時〇七分頃箕面市消防隊の救急車で相原病院へ搬送され、被告相原の診療を受けることになった事実は認めるが、その余は知らない。

(二)  同2の(二)の事実のうち、春巳が被告相原に対し激痛を訴えたことについては否認し、その余は認める。

春巳の訴えは、激痛ではなく、歩行可能な疼痛であった。また、被告相原は、春巳に対し、肋骨以外に骨折はないと告げたのであり、また、もし異常が起こったら近医でみてもらいなさい、と告げた。

(三)  同2の(三)の事実のうち、春巳が箕面市消防隊の救急車で友紘会病院へ搬送され、同病院の当直医師吉崎医師の診療を受けることになった事実は認めるが、その時刻は同日午後九時二八分である。その余の事実は知らない。

(四)  同2の(四)の事実のうち、吉崎医師が、消防隊員及び春巳から、来院経過並びに現症を聴取したこと、春巳を診察したところ、同人の左季肋部を中心とする強い圧痛と腹部膨満を認めたが、筋性防御は認められなかったこと、吉崎医師が当初診察した時点では、春巳の意識は清明であったが、胸腹部のレントゲン写真を撮影した際、春巳は痛みのため立てない状態で、吉崎医師が春巳を支えて立位のレントゲン写真を撮影したこと、春巳のバイタル・サインは、吉崎医師が当初診察した時点では、脈拍が八〇程度、触診による最高血圧が一〇〇であったが、同日午後一〇時一〇分には、最高血圧が七〇に低下していたこと、吉崎医師が血液ガス分析及び血液検査を行った事実については認めるが、その余は否認ないし争う。

(五)  同2の(五)の事実のうち、春巳が同日午後一〇時三〇分頃血圧が低下しショック状態になったこと、吉崎医師が被告林の応援を求めたこと、同月九日午前〇時一五分から春巳の脾臓摘出術がなされたこと、同日午前九時一三分、春巳が脾臓破裂により失血死するに至ったことは認めるが、その余は、否認ないし争う。

3(一)(1) 同3の(一)の(1)のうち、脾臓が、左季肋部腹腔深部に位置し、横隔膜、胃、結腸、腎との間に靭帯があり固定されていることは認めるが、その余は争う。脾臓に強い鈍力が働いた場合、脾臓損傷をきたすことはあるが、容易に脾臓内に断裂を生じて脾臓破裂をきたすということはないし、衝突、殴打等で左側の胸、背部下部や左側腹部に強い鈍的外力を受けたときに脾臓損傷が発生することはあるが、発生しやすいということはない。また、通常、左側第八ないし第一〇肋骨に骨折がある場合に、医師は、脾臓損傷をも念頭において診察を行うが、脾臓だけでなく、他の臓器の損傷も念頭においたうえ診察がなされる。なお、左側第八ないし一〇肋骨に骨折を認めても、脾臓を含め内臓損傷を伴わない症状例も多く存在する。

(2) 同3の(一)の(2)は争う。

出血性ショックの病変について、循環血液量の一五から二〇パーセントまでの出血では、末梢血管の収縮により脈拍や血圧に変化がないという事例もないではないが、一般的には、出血により、進行性の血圧低下、脈に微弱さあるいは頻脈があらわれる。

また、腹腔内損傷が疑われるか否かの判断については、血圧、脈拍のほか、呼吸数、呼吸状態等のバイタルサイン、腹部触診による圧痛、腹筋の緊張(デファンス)、膨隆、腹膜刺激症状の有無の確認、腹部損傷に伴う通常の臨床所見である顔面蒼白、冷汗、嘔吐及び嘔気の有無、眼瞼結膜の検査等によってなされるべきものであり、圧痛の有無のみが重要ということはない。

(3) 同3の(一)の(3)は争う。

一般的に、腹腔内出血による全身的な所見は、ある程度の出血が持続していなければ発現しないものであるということはない。特に、老人の循環動態変化に対する順応は悪いとされており、循環血液量のわずかな減少(出血)に対して、老人の生体、特に血管系は敏感に反応しえないので、早期に出血に対して症状が発現すると考えられる。

また、腹腔内損傷が疑われるか否かの判断については前記(2)記載の検査等によってなされるべきものであり、脾臓の摩擦音の確認、レントゲンによる脾陰影、横隔膜の撮影のみによってなされるべきものではない。

また、前記(2)記載の各診察の結果、腹腔内出血の疑いがあるとの所見がない場合には、さらに、血液検査、エコーやCT等の画像診断、腹腔内穿刺は実施しないのが臨床医の常識である。

(二)(1) 同3の(二)の(1)は争う。

(2) 同3の(二)の(2)は争う。

脾臓の実質部が外力によって損傷した場合においても、被膜が損傷することなく、受傷後時期を経て脾臓の被膜が突然破れて出血する(脾臓の遅発性破裂)可能性はある。脾臓は、組織構造上易出血性臓器であり、春巳が受傷後約四時間以上独自に行動可能であった臨床的経緯から考えて、受傷後八時間弱を経過した開腹手術時に、脾臓が破裂していたからといって、受傷時ただちに被膜も破裂しており脾臓から出血していたものと断定することはできない。また、手術摘出時の脾臓の損傷状態がただちに開腹前の状態を示すものではない。

春巳については、その臨床上の経緯等からすると、脾臓の実質部が転落事故の際の外力により損傷していたが被膜は損傷しておらず、相原病院を退出した後に自動車を運転するなど激しい運動をしたため同日午後七時三〇分頃、脾臓の被膜が突然破れて出血したものであると考えられる。

よって、被告相原が春巳を診察した時点では、被告相原が仮に原告主張の右各検査をしていたとしても、腹腔内出血の所見は表れなかったといえるので、被告相原に仮に原告主張の過失があったとしても、春巳の死亡との間に因果関係がないというべきである。

(三)(1) 同3の(三)の(1)は否認ないし争う。

(2) 同3の(三)の(2)のうち、本件当日、友紘会病院においては、春巳と同型のCRCが六本、FFPが二〇本保管されていた事実は認めるが、その余は争う。

4  同4の事実は全て争う。

三  被告らの主張

1  被告相原について

(一) 被告相原は、春巳が頭を打っているので頭蓋内の異常、胸を打っているので胸部及び腹部の損傷(脾臓損傷を含む)を念頭におきながら、レントゲンフィルムを十分検討し、眼瞼結膜の確認をし、左胸、側胸部を含めた胸腹部の聴診、打診、触診を行い、また、脈拍を測定し、看護婦に指示して血圧の測定をさせるなど諸検査を実施し、約一時間三〇分強の経過を観察した結果に基づいて、春巳には脾臓を含む内臓破裂を疑わせる所見はないと判断した。

(二) 被告相原が、春巳の内臓について異常を認めないとした根拠は、春巳の全身状態が良好であったこと、春巳が胸腹部の激痛を訴えたわけではなかったこと、顔面の蒼白、悪心、冷汗、嘔吐及び嘔気がなかったこと、眼瞼結膜に貧血がみられなかったこと、血圧に異常がなかったこと、脈に微弱さあるいは頻脈がなかったこと、骨折部位に圧痛はあったものの、腹部の触診の際、圧痛はなく、腹部は膨隆がなく平坦であり、腹筋の緊張(デファンス)がなかったこと、腹膜刺激症状、肩や背中への放散痛(ケールサイン)、挙睾筋の収縮が見られなかったことなどを総合考慮したからである。

(三) 被告相原が血液検査、エコー、CT等の画像診断、腹腔内穿刺を行わなかった理由は、レントゲンフィルムを十分検討し、眼瞼結膜の確認をし、左胸、側胸部を含めた胸腹部の聴診、打診、触診を行い、また、脈拍を測定し、看護婦に指示して血圧の測定をさせるなど諸検査を実施した結果から、腹腔内出血の疑いを抱かせるべき所見がなかったからであり、右各診察等の結果腹腔内出血の疑いがあるとの所見がない場合は、いくら血液検査、エコー、CT等の画像診断、腹腔内穿刺自体が難しくないからといって、それらを実施しないのが臨床医の常識であり、被告相原が右各検査を行わなかったことについて診療上の注意義務違反はない。

2  被告林について

(一) 診療経過等

吉崎医師は、春巳が友紘会病院に搬入された後一〇分位で、輸液路を確保し、点滴を開始し、輸液路を経由して、あるいは、注射によって、ポタコール(電解質)、ペンタジン(痛み止め)を投与した。

そして、吉崎医師は、春巳の診察結果及び相原病院で肋骨骨折という診断を受けて救急車で搬入されていることなどから、まず肺臓の胸腔内出血等の胸部疾患を疑ったため、血液ガス分析を行った。

そして、春巳をストレッチャーに乗せたままレントゲン室に搬入し、吉崎医師も同室に入り、胸部、腹部を立位で撮影するため、春巳をストレッチャーから下ろし、撮影に際して体を支えた。春巳は、痛みのためやっと立位をとれるような状態であったため、レントゲン撮影にやや手間取った。

再び、春巳をストレッチャーに移し、救急外来の診察室に運んだ。ただちに、看護婦がバイタルチェックをしたが、特に血圧、脈拍に変化はなかった。

吉崎医師は、できあがった胸部、腹部、肋骨部正面のレントゲンフィルムを見たが、いずれにも明らかな異常所見を見出すことはできなかった。なお、吉崎医師は、体動のため腹部CTは撮影できないと思っていた。そして、看護婦に血圧を頻回測定するように指示を出した。

その頃、吉崎医師は、腹腔内あるいは胸腔内出血を疑いながらも確診には至らなかった。

さらに、春巳の輸液路が体動のため抜去されたので、再び輸液路を確保すべく努力し、二、三回静脈を穿刺し、血管を確保した。

同日午後一〇時一〇分頃、吉崎医師が、被告林等外科の常勤医に連絡をとらなければならないと考えていた矢先に、春巳の最高血圧が約七〇に低下したので、直ちにイノバン(昇圧剤)入りの点滴を用意させ、早めに滴下した。また、この頃から、代用血漿であるデキストランの輸液路からの補給を始めた。吉崎医師は、ヘモグロビン値、ヘマトクリット値等を検査するために、この頃、血液の至急検査を依頼した。ソルコーテフ(ステロイド)もこの頃使用し、ECG(心電図)モニターを装着した。

吉崎医師は、この頃、腹腔内あるいは胸腔内出血を確診したが、午後一〇時三〇分頃、春巳が下顎呼吸の状態になったので、同医師は、アンビューバック・マスクで補助呼吸を実施した。しかし、春巳の血圧は上昇せず、心停止あるいはそれに近い状態であった。

そこで、吉崎医師は、看護婦に心臓マッサージ及びボスミン(昇圧剤)の静脈注射をさせ、同医師自身はアンビューバック・マスクで人工呼吸を実施した。

この、心停止あるいはそれに近い状態になる直前に、春巳に付き添ってきた老婦人が知らぬ間に診療室に入ってきて春巳に抱きつくようにして呼び掛けたため、吉崎医師は少し邪魔をされた。

春巳の下顎が硬かったので、サクシン(筋弛緩剤)を手術室に取りに行かせて、午後一〇時四〇分頃サクシンを使用して挿管を行った。

吉崎医師は、前記のとおり外科の常勤医に連絡をとらなければならないと考えていたが、アンビューバックを自ら押して春巳に人工呼吸をさせていたため手が離せなかったため、アンビューバックからレスピレーター(呼吸器・バード)に変更したうえ、被告林の自宅に電話連絡して直ちに友紘会病院に来てくれるように依頼した。

また、この頃、吉崎医師は、メイロン(炭酸水素ナトリウム、酸血症治療剤)を注射するとともに、アルブミン(代用血漿)を静脈注射した。

吉崎医師の前記の処置の結果、春巳の最高血圧は六〇程度にまで回復し、脈も触れ、対光反射も戻ってきた。

この様な状態のもとで、午後一一時前には被告林が友紘会病院に到着した。

被告林は、吉崎医師から電話あるいは病院到着後口頭で春巳の病状の報告を受け、さらに春巳を診察した結果、外傷のないこと、腹部膨満、眼瞼結膜、口腔粘膜の状態から、内臓破裂であることを確診し、輸血のために鎖骨下穿刺をしてルートを確保するとともに、輸血の準備をした。

この頃、春巳の血液型がA型RHプラスであることが確かめられたが、春巳の最高血圧が四〇前後と低く、やっと心臓が動いているような状態であったので、被告林は、クロスマッチテストをしていたのでは間に合わないと判断し、病院内に保存されていた春巳と同型のCRCをクロスマッチテストをしないまま輸血するよう命じ、午後一一時過ぎ頃から、春巳にCRCの輸血が開始された。さらに、被告林は、春巳の入院及び開腹手術の準備を命じ、手術の準備が開始された。

被告林は、春巳の開腹手術にCRCが必要なため(FFPは病院内に手術に十分な二〇本が保存されていた。)、午後一一時一九分に、大阪府赤十字血液センターにA型RHプラスのCRC一〇本を電話で発注し、同センターから、午後一一時二〇分に大阪府北大阪赤十字血液センターへの同内容血液の配送依頼があり、午後一一時五四分に友紘会病院に同センターから右CRC一〇本が配送された。

午後一一時三〇分には、春巳の入院措置がとられ、既に輸液路二本が装着されて内一本からCRCが輸血され、また、レスピレーターが装着されたまま春巳はICU(集中治療室)に搬入された。ICU搬入時の春巳の最高血圧は、依然四〇程度であった。

また、春巳がICUに搬入された午後一一時三〇分過ぎ頃には、病院に保管されていたクロスマッチを経ていない二本目のCRC及び同様に院内に保管されていたFFPの輸血が開始された。

被告林の指示による輸血により、四〇前後で推移していた春巳の最高血圧は、午後一一時四五分頃、五〇ないし六〇位になったので、被告林は、輸血に対して反応があることなどを考慮して春巳の開腹手術に踏み切る決意をした。

春巳は、翌九日午前〇時頃、ICUから手術室へ搬入され、同日午前〇時一五分頃、被告林の執刀により手術が開始され、開腹、脾臓摘出の手術自体は成功し、手術後も輸血等の適切な措置がとられたが、手術後も、春巳の最高血圧は六〇ないし七〇と、前日午後一〇時一〇分頃からのショック状態から回復しないまま、九日午前九時一三分春巳は死亡した。

(二) 吉崎医師に診療上の注意義務違反があったといえるか否か

(1) 前記(一)のとおり、吉崎医師は、春巳が搬入されてから、春巳の症状の変化に対応した治療を行い、その一般状態の改善につとめ、あわせて同医師が可能性が大きいと判断した原因の究明のために必要にして可能な諸検査を実施したものであって、吉崎医師の診療行為に不十分な点はない。

(2) 仮に、吉崎医師の診療行為についてレトロスペクティブにみると不十分な点があったとしても、以下のように、腹部外傷の確定診断が困難であることに加えて、本件では、脾臓破裂としては稀なディレイドショックであったためにさらに診断治療が困難であったということからすると、吉崎医師に診療上の注意義務違反があったと評価することはできない。

① 腹部外科あるいは一般外科を専門とする医師は、大部分は大学病院等で研修を受けていて、胆石や直腸がん等の腹部疾患についての手術のトレーニングを受けている関係上、腹部疾患の診断及び治療については一定の技術と経験を積み重ねているが、腹部外傷は、腹部疾患とはかなり性質が異なるから、一般的な腹部外科医が、腹部外傷の診断を容易になしうるとは必ずしもいえない。

② 本件では、春巳は、友紘会病院への搬入時には、血圧、脈拍、意識等の一般状態が比較的良好であったが、搬入から約一時間後、受傷後約五時間後に、大量出血が既に生じていても血圧、脈拍、意識等に直ちに反映されず出血性ショック症状が一定の時間を経て出現するというディレイドショックに陥ったものであり、これは、脾臓破裂としては稀なケースである。

(3) 救急外傷患者の診療に当たる医師の注意義務

春巳を救命するためには、後記のとおり、春巳が病院に搬入されてから約三〇分後である午後一〇時までに腹部外傷の診断を行い迅速に輸血及び手術を行わなければならないが、搬入後三〇分以内に右診断、輸血及び手術をなすためには、①腹部外傷について相当経験を積んでいて、本件のような脾臓破裂では稀なディレイドショックについても的確に対処できる医師が毎晩当直しており、②それ以外に少なくとも助手としてもう一人の外科医、麻酔医、看護婦等のスタッフがおり、③院内にCRC、FFPが保管されており、直ちに輸血及び手術の準備ができる物的、人的スタッフがいるなどの条件を満たした医療機関でなければ到底不可能である。

しかし、右のような条件をみたした医療機関は救急救命センター等の第三次救急医療機関にしかなく、友紘会病院のような第一次、第二次救急医療機関ないし救急救命センター以外の一般の救急告示病院の一般的医療水準は、当直医が大体一人か二人で、その他は待機している医師を呼び出すという体制であり、しかも、当直医は必ずしも腹部外科あるいは腹部外傷に慣れた医師であるとは限らないし、看護婦が数人当直していても入院中の患者の世話等に当たっており救急外来患者の診療に十分な体制とはいえず、血液は通常病院には保管されていないというものであって、右の①ないし③の条件は満たしていない。

よって、本件当時の救急外傷患者の診療に当たる医師の注意義務を第三次救急医療機関の医療水準を基準にして判断することは相当でなく、第一次、第二次救急医療機関ないし救急救命センター以外の一般の救急告示病院の一般的医療水準を基準にして判断しなければならないところ、右一般的医療水準からすると搬入後三〇分以内に右診断、輸血及び手術をなすことは到底不可能であるから、吉崎医師が午後一〇時までに右診断等ができなかったことを、診療上の注意義務違反と評価することはできない。

(三) 因果関係

(1) 春巳を救命するためには、友紘会病院に搬入された直後、あるいは遅くとも午後一〇時頃までにはCRC及びFFPの輸血並びに開腹手術が行われなければならない。

(2) 本件において、救急外傷患者の診療に当たる医師としては、午後一〇時頃までに胸腔内あるいは腹腔内出血の診断をし、輸血及び手術の判断をすべき診療上の注意義務があり、吉崎医師に右注意義務に違反した過失があるとしても、第一次、第二次救急医療機関ないし救急救命センター以外の一般の救急告示病院の一般的医療水準では、通常病院内にCRCが保管されておらず血液センター等にCRCの配送を依頼することになるため、輸血に必要なCRCが到着するまでに少なくとも三〇分を要するし、CRCを輸血するためには通常クロスマッチテストを行う必要がありそれに少なくとも三〇分を要することから、午後一〇時頃までに輸血を開始することは不可能である。ましてや、手術の準備には、右一般的医療水準では通常一時間半から二時間は必要であるから、午後一〇時頃までに手術を開始することは到底不可能である。

よって、仮に吉崎医師が、午後一〇時頃までに胸腔内あるいは腹腔内出血の診断をし、輸血及び手術の判断をしたとしても、春巳を救命することはできなかった。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(当事者)のうち(一)の事実は、<書証番号略>によりこれを認めることができる。同(二)の事実は、当事者間に争いがない。

二請求原因2(医療事故の発生)について

証拠(各項末尾に掲記する。)によれば、以下の事実(争いのない事実を含む。)を認めることができる。

1  春巳は、昭和六二年七月八日、自家用車で、大阪府箕面市に所在する箕面公園に夕涼みに来ていたが、同日午後四時三〇分頃、同公園内にある河原に降りようとした際、誤って約二メートル下の河原に転落して左胸腹部、頭部及び左腕を打撲し、同日午後五時〇七分頃、救急車で相原病院に搬送され、被告相原の診察を受けることになった(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

2  被告相原は、直ちに春巳を診察したところ、春巳の意識は清明で、春巳は、二メートル位の高所から河原に転落して頭部、右前腕、左前胸部を打撲した旨述べ、頭部、左胸及び左前腕部に疼痛を訴えた。しかし、被告相原が春巳の全身状態を観察したところ、それほど重篤な状態ではなかったため、被告相原は、転送の必要がないと判断し救急隊に引き取ってもらい、春巳の頭部、左前腕部、左肋骨のレントゲン写真を撮影するよう指示したうえ、レントゲン写真の現像ができるまで春巳をレントゲン室のベットの上に寝かせておいた。

同日午後五時三〇分頃、春巳のレントゲン写真ができあがり、被告相原が右レントゲン写真の結果を検討した結果、春巳の左第一〇肋骨にずれのない亀裂骨折が確認されたが、頭部と左前腕部には骨折が認められなかった。そこで、被告相原は、同日午後五時四〇分頃、レントゲン室に戻り、春巳の眼瞼結膜を診て貧血の有無を確認し、胸部の聴打診、腹部を触診し、脈拍の測定を行い、看護婦に指示して血圧の測定を行った。

その結果、春巳には頭部と左前腕部に打撲と軽い挫創、左の第一〇肋骨に亀裂骨折が認められ、右骨折部位付近の圧痛が認められた以外には、貧血もなく、腹部に膨満や筋性防御はなく、また、胸にも異常が認められず、脈拍も毎分七八であり、血圧も特に異常を認めなかった。

そこで、被告相原は春巳の内臓に異常はない旨判断し、春巳に対し、「座れますか、動けますか。」と尋ねたところ、春巳が「立てます。」と言ったため、受付で待機するよう指示した。

その後、同日午後五時五〇分頃、再び春巳に診察室に入るよう指示し、春巳の頭部及び前腕の挫創に対して消毒をしてガーゼで覆い、肋骨骨折に対して湿布をしてトラコバンドで固定する処置をなし、異常があったら近医でみてもらうように指示をして診療を終えた(<書証番号略>、被告相原本人)。

3  同日午後七時頃、春巳は、タクシーで箕面公園に戻り、自家用車を運転して自宅に帰ろうとしたが、その途中気分が悪くなり嘔吐した。春巳は、しばらくの間様子をみていたが、容態が一向に良くならないため、同日午後九時三分頃、近くの人に救急車を呼んでもらい、同日午後九時二三分頃、救急車で友紘会病院に搬送され、同病院の夜間の外科当直医師であった吉崎医師の診察を受けることになった(<書証番号略>、証人吉崎)。

4  吉崎医師は、春巳を搬送した救急隊員から、春巳が二メートル位の高さの木から転落し、近医で左肋骨骨折と診断されて帰宅途中、痛みのため動けなくなり救急搬入された旨の事情を聴取したほか、看護婦を通じて、春巳が自動車の運転途中に気分不良となり、食物残査物の嘔吐があった旨の事情も聞いていた。

吉崎医師は、看護婦に春巳の血圧及び脈拍を測定するように指示し、自らは、春巳の胸部に取り付けてあったトラコバンドを取り外して胸部、腹部の診察を行った。

その結果、春巳の血圧は、最低血圧については測定不能であり、最高血圧は触診による測定で一〇〇、脈拍は八〇程度あり、胸部聴診でははっきりとした異常が認められず、腹部には左の悸肋部を中心とする強い圧痛を認め、腹部膨満は認められたが、筋性防御はなく腹部全体は柔らかい状態であった。

吉崎医師は、右所見等から直ちに腹部損傷による腹腔内出血または出血性ショックの診断を行うことはできなかった(<書証番号略>、証人吉崎の一部)。

5  吉崎医師は、春巳の輸液路を確保し、ポタコールRを点滴し、痛み止めとしてペンタジンを筋肉注射し、同日午後九時四三分頃血液ガス分析のための採血を行った。なお、後述する同検査結果からすると、採血時の春巳は、呼吸状態が悪化していたと推測されるが、吉崎医師は、春巳の右呼吸状態についての観察を怠っていたか、あるいは、右呼吸状態の悪化が何を意味するのかを判断できなかったため、これについて何らの処置もとらなかった。

吉崎医師は、春巳をストレッチャーに乗せたままレントゲン室に搬入し、胸部正面、腹部正面、左肋骨正面のレントゲン撮影を行った。レントゲン撮影の際、春巳は自力で立てる状態ではなかったが、吉崎医師は、腹部の立位での写真を撮影したいと考え、春巳を支えて撮影を行った。そのとき、春巳は自力では立てない状態にあったものであるが、吉崎医師は、春巳が腹腔内出血による出血性ショックの状態にあることを察知することができなかった。

吉崎医師は、脳神経外科が専門で、しかも、昭和六一年六月に医師免許を取得したばかりの研修医であり、CTの撮影及びエコーの操作を行うことができなかったため、これらの検査を行わなかった。また、中心静脈圧、時間尿量については、その必要性はないと考えたため、測定をしなかった。

同日午後九時四三分に採取した血液につき、同九時五五分血液ガス分析の結果が出たが、その検査結果によるとPH7.361、PCO220.6、HCO311.6、BE―10.8という異常値であり代謝性アシドーシスに加えて呼吸性アルカローシスが起こっていることが読み取れるものであった。

吉崎医師は、それまで春巳等から聴取していた受傷機転、臨床所見及び右血液ガス分析の結果から、春巳が腹腔内出血による出血性ショックを起こしていると確診することはできず、メイロン(七パーセント重炭酸ナトリウム、酸血症治療剤)を注射するに止まった。そして、同日午後一〇時一〇分頃、血液検査を行うために春巳の血液を採取した。なお、後述する右検査結果からすると、右採血時の春巳の状態は著明な貧血状態であったと推測され、その頃、吉崎医師は、春巳の最高血圧が七〇程度に低下していることを知ったが、同医師は、この時点においても、なお、春巳について腹腔内出血による出血性ショックを起こしていると確診することができず、そのため、点滴により昇圧剤イノバンを投与したに止まった(<書証番号略>、証人桂田、同近藤、同吉崎の一部)。

6  しかし、春巳は、血圧の上昇はみられず、下顎呼吸の状態になり、同日午後一〇時三〇分頃、血圧低下、脈拍触知不能という重篤なショック状態に陥った(吉崎医師は、この時点で、春巳が突然急激に重篤なショック状態に陥ったと認識した。)。

吉崎医師は、気道確保を行い、より強い昇圧剤であるボスミンを看護婦に指示して静脈注射させ、さらに、心電図モニターの装着をさせ、自らは、心マッサージを行い、気管内挿管し、アンビュー・バックで補助呼吸を実施した。

その後、人口呼吸器であるバードを装着し、看護婦に指示して外科の常勤医師である被告林に連絡を取ってもらった。

同日午後一〇時三〇分頃、春巳の血液検査の結果が出た。春巳の赤血球数は126 104/mm3、ヘマトクリット14.5%、ヘモグロビン4.5g/dl、血小板数52 103/mm3という結果であり、これは春巳が著明な貧血状態にあることを示していた。しかし、吉崎医師は、春巳の血液型の検査を行うなどの輸血の準備をしなかった(<書証番号略>・証人吉崎の一部、被告林本人)。

7  同日午後一一時前頃、被告林が友紘会病院に到着した。

被告林は、春巳の状態をみて内臓破裂による腹腔内出血と確診し、直ちに輸血が必要であると考え、輸血のために春巳の血液型を検査し、鎖骨下穿刺をして二本目の輸液路を確保した。そして、被告林は、春巳の入院及び開腹手術の準備を命じ、手術の準備が開始された。

同日午後一一時に春巳の血液型がA型RHプラスである旨の検査結果が出た。当時、友紘会病院には、春巳と同型のCRCが六本、FFPが二〇本保管されていたが、被告林は、当初春巳の病状について肝臓破裂の疑いがあると考えていたこともあり、開腹手術及び手術後の輸血に十分な血液を確保するために、同日午後一一時二〇分頃大阪府赤十字血液センターを通じて大阪府北大阪赤十字血液センターに対しCRCA型RHプラス一三〇ミリリットル一〇単位の配送依頼を行った。

同日午後一一時三〇分頃、春巳に対し、フルクトラクトに昇圧剤イノバンを加えたものとともに、輸血のためのクロスマッチテストを経ないで院内に保管してあったCRCが滴下され、ICUに搬入された。ICU入室時の春巳の状態は、体温32.6度、血圧が触診法で最高血圧四〇であり、全身蒼白、呼名反応及び対光反射がなく、瞳孔が散大し、体動が激しいといった重篤な状態であった。

同日午後一一時四五分頃、二本目のCRCが滴下され、同時に院内に保管されていたFFPが滴下された。

同日午後一一時五四分に友紘会病院に大阪府北大阪赤十字血液センターからCRCA型RHプラス一三〇ミリリットル一〇単位が配送された(<書証番号略>、被告林本人)。

8  春巳は、翌九日午前〇時頃、ICUから手術室へ搬入され、同午前〇時一五分頃、被告林の執刀により手術が開始された。

被告林が春巳を開腹したところ、腹腔内に約三五〇〇ミリリットルの多量の出血が認められ、検索すると脾臓がほぼ真二つに崩れる状態で破裂していたことが認められた。そこで、被告林により脾臓摘出手術が行われたが、手術後の春巳の血圧は手術前の状態から回復しないまま、同日午前九時一三分春巳は脾臓破裂に起因する失血により死亡した(<書証番号略>、証人吉崎、被告林本人、原告中村本人)。

三被告らの責任について

そこで、春巳が前記二認定のとおり死亡したことにつき、被告相原及び被告林に原告ら主張の診療上の過失があったか否かについて検討する。

1  脾臓損傷及び出血性ショックの診断と治療について

証拠(<書証番号略>、証人桂田菊嗣、同中尾量保、同中山賢、同近藤孝の各証言、被告林本人、鑑定の結果、)並びに弁論の全趣旨によると、本件当時において、脾臓損傷及び出血性ショックの診断と治療に関する、以下のような知見は、救急外傷患者の診療に当たる医師の基本的知識となっていたこと(争いのない事実も含む。)が認められる。

(一)  脾臓損傷について

(1) 受傷機転

脾臓は、左季肋部腹腔深部に位置し、横隔膜、胃、結腸、腎との間に靭帯があり固定されているので、軽度の外力では損傷されないが、強い鈍力が働くと固定部にて移動が阻止されて脾内に断裂を生じて脾臓破裂をきたす。脾臓損傷は、衝突、殴打等で左側の胸、背部下部や左側腹部に強い鈍的外力を受けたときに発生しやすく、鈍的外傷では交通外傷によるものが最も多く、墜落外傷、鈍的暴力、スポーツ外傷と続く。

(2) 臨床症状・所見

脾臓損傷の症状は、主として腹腔内出血によるものである。脾臓破裂の瞬間、左上腹部に激痛をきたし、これは左腋窩、左肩に放散する。脾臓からの出血は著しく、出血性のショックを起こす。通常、受傷後三〇ないし六〇分後には腹部全体の腹膜刺激症状、腹部膨満が出現して、顔面は蒼白となり、頻脈、血圧低下などの出血性ショックの症状がみられるようになる。

まず、患者をみるにあたって、外傷の受傷機転を知り外力の加わった部位、方向などを考慮し、血圧、脈拍、呼吸数等のバイタルサインをチェックして患者の全身状態を評価しつつ、腹部所見をよく診察することが重要である。

脾臓損傷の腹部所見としては、悪心、嘔吐を伴う上腹部痛、左上腹部の圧痛、筋性防御、腹膜刺激徴候等がみられる。その他、左側腹部の打診上の濁音の変化、左横隔膜下の血液貯留による左肩への放散痛(ケールサイン)等がみられる。進行性の腹部膨隆、疼痛範囲の拡大や腸雑音の消失等の腹部所見の変化は、ショック症状の有無、進行性の貧血とともに開腹適応を決定するうえで重要となるので、頻回の注意深い診察が要求される。

しかし、被膜の損傷がなく実質損傷があったり、被膜損傷が軽微で大網、腸管などで被包され、被膜下血腫の形で発展し、受傷後時日が経過して、被膜が破れて出血する遅発性破裂があり、また、大量出血がすでに生じていても、血圧や脈拍、意識などにただちに反映されず、出血性ショック症状が一定の時間を経て出現する(ディレイドショック)ことがありえるので、右のような症状が時期が遅れて出現する場合がある。

(3) 検査

腹腔内出血による全身的な所見は、ある程度の出血が持続していなければ発現しないものであるから、受傷初期の段階では、脾臓部付近の異常を他覚的な検査で把握することになる。

理学的には、脾臓部に摩擦音や打診上の濁音の変化を聴取することができる。これは、出血部位近くの貯留物の存在を確認するものであるから、前述の臨床所見が発現する以前に把握することができる。

単純レントゲン撮影では、脾臓損傷の直接所見は得られないが、paracolic gutterの開大や、dog's ears signなどの腹腔内出血の所見や左横隔膜と胃泡間の開大、さらに左第八ないし第一〇肋骨骨折等は脾臓損傷の存在を疑う手がかりになる。

端的に、腹腔内出血を確認する手段としては、側孔付きテフロン針で左上腹部を穿刺して血液の排出を検する腹腔内穿刺が有効であるが、右検査は合併症が起こる危険性があるため、出血を疑う十分な根拠がない限り行わない。

画像診断法では、エコーが、操作が簡便で無侵襲な検査であることに加え、腹腔内出血に対する診断能力も優れており、かつ、脾臓損傷の程度と形態の診断についても有用であるため、脾臓損傷のみならず腹部外傷のスクリーニング検査として、単純レントゲン撮影とともに第一次的に選択すべき検査方法となっている。エコーにより、腹腔内貯留液の存在が認められた場合、その性状を知るために、腹腔内穿刺を行うこととなる。CTで、元来脾臓は血液を多量に含む臓器であるため、健常組織と損傷部や脾臓周囲の血液との陰影の濃度は近似しており、簡便に正確な診断を行うというのは困難である。

(4) 治療

出血性ショックの症状が出現しはじめた場合は、その時点で時を失することなく迅速に輸血を開始し、かつ同時に出血源に対する止血手術(脾臓損傷についていえば、脾臓摘出術による止血)の必要性を判断したうえで手術の準備に着手し、次いで的確な手術を行うのが理想的な順序である。

なお、輸血及び手術だけでなく、各種の輸液、薬物療法、呼吸管理等も重要である。

(二)  出血性ショックの診断及び治療

前述したように脾臓損傷の症状は腹腔内出血によるものである。そのため、脾臓損傷の症状は、次第に出血性のショックによる症状となってくる。そこで、担当医師においては、以下のような早期の出血性ショックの診断とその治療も要請される。

(1) 問診

患者、付添の家族、救急隊員や初期の治療を行った医師等から、受傷機転や来院までの経過と処置とを聴取する。

(2) 全身の観察とバイタルサインの測定

すばやく患者の全身状態を観察し、顔貌(蒼白になっていないか)、皮膚の色調、チアノーゼの有無を知る。同時に、血圧、脈拍、呼吸数等のバイタルサインを測定し、意識レベルも判定する。そして、ショックの主たる原因が失血かそれ以外のものかの目安をつける。

血圧については、収縮期血圧(最高血圧)、脈圧ともに減少し、通常の血圧計では測定しがたく、かつ不正確で低く測定される。触診でしか測定できない場合が多く、収縮期血圧一〇〇以下の場合は注意が必要である。脈拍については、毎分一二〇以上の時は要注意であり、微弱で触れにくい。奇脈、交互脈は注意が必要である。呼吸と胸部所見については、代償性過換気であるが、状態が悪くなると低換気となり、このときは呼吸停止が近いとみて注意が必要である。

(3) 検査

重要な検査として、動脈圧、CVP(中心静脈圧測定)及び尿量の経時的な計測、一般血液検査(赤血球、白血球、ヘマトクリット、ヘモグロビン、血液型は必ず調べる。)、血液ガス分析、レントゲン検査(脳、胸部、腹部の単純撮影は外傷性の場合は必ずとっておく。)等を行う。

(4) 処置

輸液路を確保し、輸液、輸血を十分に行うことが最も重要である。大量出血にはこれを輸血で補うのが原則で、出血量一〇〇〇ミリリットル以上、Hb10g/dl、Ht30%以下では輸血の必要性がある。輸血速度は原則としては急速で行うのがよい。輸血は、循環維持効果は大きいがその反面心負担も大きく、高齢者では特に急速輸血には注意を要する。

2  被告相原の責任について

(一)  被告相原の診療上の注意義務違反の有無

前記二の2認定の事実に被告相原本人尋問の結果を総合すれば、被告相原においては、春巳には、打撲した左前胸部の骨折部位(左第一〇肋骨)付近に圧痛が認められた以外には貧血症状、腹部の膨満や筋性防御がなく、胸部の異常等が認められず、脈拍も七八(毎分)であり、血圧も異常が認められないなど、他に腹部損傷ないし脾臓損傷を疑わせる所見がなかったことから、腹部損傷ないし脾臓損傷のあることを疑わなかったものであることが明らかである。

ところで、原告らは、被告相原としては、当時の救急外傷患者の診療に当たる医師として春巳の受傷機転を聴取して左上腹部を打撲したことを知り、かつ、レントゲン写真により左第一〇肋骨骨折があることを認めた以上、脾臓損傷を疑って腹腔内穿刺やエコー、CT等を行い、また、経過観察等を行うべき義務があるのにいずれもこれを怠った旨主張する。

確かに、前記1(一)で説示とおり、脾臓損傷は衝突、殴打などで左側の胸・背下部や左側腹部に強い鈍的外力を受けたときに発生しやすく、左下部肋骨骨折があることは脾臓損傷の存在を疑う手がかりになるということはいえる。しかしながら、本件全証拠によるも、本件のように、右のような受傷機転及び左下部肋骨骨折という所見がある以外に、貧血症状、腹部の膨満や筋性防御が認められず、脈拍も毎分七八と異常がなく、血圧も特に異常がないなど、他に脾臓損傷を疑わせる所見がない場合でも、救急外傷患者の診察にあたる医師としては直ちに脾臓損傷を疑ってエコー、CT、腹腔内穿刺を行ったり、継続的な腹部所見の観察やバイタルサインのチェックを行うべきことが本件事故当時右医師として遵守すべき基本的事項であって右医師にこれを行うべき注意義務があったことを認めるに足りない。

よって、被告相原が右諸検査を行わなかったことが医師として尽くすべき注意義務を怠ったと断定することはできない。

(二)  以上によると、被告相原は、その余の点について判断するまでもなく、原告ら主張の損害賠償責任を負わないことが明らかである。

3  被告林の責任について

(一)  吉崎医師の診療行為上の注意義務違反の有無

吉崎医師は、春巳が友紘会病院に搬入された時点では、春巳は腹部には左の悸肋部を中心とする強い圧痛と腹部膨満が認められたものの、意識は清明であり、血圧は触診法で最大血圧が一〇〇であり、脈拍は八〇程度あったこと、腹部の筋性防御はなく腹部全体は柔らかい状態であったことなどから、春巳について腹腔内出血による出血性ショックであるとの診断ができなかったことは前記二4認定のとおりである。

ところで、前記二4認定のように、春巳が友紘会病院に搬入された時点で、吉崎医師は、春巳が二メートル位の高さから転落し、近医で左肋骨骨折と診断され帰宅しようとしたが、その帰宅途中で痛み及び気分不良、食物残査物の嘔吐があったため動けなくなり救急搬入された旨の事情を聴取していたこと、血圧は最低血圧については測定不能であり、最高血圧は、触診による測定で一〇〇であったこと、腹部には左の悸肋部を中心とする強い圧痛を認め、腹部膨満が認められたこと等の事情があったのであるから、前記1認定説示の事実に証拠(<書証番号略>、証人桂田、同中尾、同近藤の各証言、鑑定の結果)を総合すれば、吉崎医師は、本件当時の救急外傷患者の診療に当たる医師として、腹腔内出血による出血性ショックを念頭におき、継続的な腹部の観察や血圧、脈拍、呼吸数等のバイタルサインの測定、血液検査、血液ガス検査、エコー、レントゲン撮影を行うなどの処置を行うべき診療上の注意義務があったといえる。

なお、救急外傷患者として典型的なものは交通事故による傷病者であるといえるが、脾臓損傷は、前記1(一)(1)認定説示のとおり交通事故によって最も多く発生することからすると、救急外傷患者の診療に当たる医師は、脾臓損傷等の腹部外傷についての基本的な知識と診断能力を備えていることが要請されているというべきであるし、前記1認定説示のとおり、脾臓損傷の症状は主に出血性ショックの症状であるが、出血性ショックは、腹部外傷に限らず救急外傷全般において起こり得ることから、少なくとも救急外傷患者の診療に当たる医師は、出血性ショックについての診断と治療については腹部外科専門医師と同程度の診断能力を備えていることが要請されるというべきである。したがって、被告らが主張する本件当時の友紘会病院のような第一次、第二次の救急医療機関ないし救急救命センター以外の一般の救急告示病院においては、通常、腹部外科医師が常勤していることはなく、本件における吉崎医師のように専門外の医師が診療に当たるということも稀ではないといった事情は、本件において吉崎医師に対して前記の注意義務を課すことを妨げるものではないというべきである。

そして、前記二5認定の午後九時四三分頃における春巳の呼吸状態及び午後一〇時一〇分頃における春巳の血圧等の状態並びに証拠(<書証番号略>、証人桂田菊嗣、同近藤孝の各証言、鑑定の結果)を総合すれば、仮に吉崎医師が、春巳について、腹腔内出血による出血性ショックを念頭において、継続的な腹部の観察や血圧、脈拍、呼吸数等のバイタルサインの測定をしていたとしたら、春巳のバイタルサイン等が順次悪化していく様子(少なくとも午後九時四三分頃には春巳の呼吸状態が悪化していた。)と進行性の腹部膨隆が観察できたと認められる。

しかし、前記二5認定のように、吉崎医師は、午後九時四三分頃の春巳の呼吸状態の悪化を見落し、午後一〇時三〇分頃になって春巳が突然急激に重篤なショック状態に陥ったと認識したのであるから、同医師には、前記の注意義務の中でも基本的な要請事項である継続的な腹部の観察やバイタルサインのチェックを怠った過失があるというべきである。

吉崎医師は、また、春巳の友紘会病院搬入時にその血液検査を行わず、エコーも行わなかった(エコーを操作する能力がなかったのであれば、この時点で、自分では手に負えないとして他の宿直医師や被告林の応援を依頼すべきであったともいえる。)のであり、これらの点においても、前記の注意義務を怠った過失があるというべきである。

なお、前記2認定説示の事実に証拠(<書証番号略>、証人桂田菊嗣、同中尾量保、同近藤孝の各証言、鑑定の結果)を総合すれば、吉崎医師は、その後の診療行為についても、知識不足等のため、血液ガス分析の結果から、春巳がショック状態に陥っていることを読み取ることができなかったため(なお、右検査結果だけからは、右ショック状態が出血性のものであることまではわからない。)、右検査結果に加えて、受傷機転、臨床所見及び継続的な腹部観察及びバイタルサインのチェックを行うことにより、当然春巳が出血性ショック状態にあることを診断することができ、また、血液検査の結果からも当然同様の診断ができたにもかかわらず、その診断をすることができず、ひいては輸血もすることができなかったものと認められ、吉崎医師には右認定の点においても、医師として尽くすべき注意義務に違反した過失があるといえる。

(二)  吉崎医師の過失と春巳の死亡との間の因果関係

そこで、仮に、吉崎医師において前記(一)認定説示の注意義務違反がなかったとしたら、果たして春巳を救命することができたか否かについて検討する。

証拠(<書証番号略>、証人桂田菊嗣、同近藤孝の各証言、鑑定の結果)によると、以下の事実が認められる。もっとも、証人中尾の証言及び<書証番号略>には、友紘会病院搬入後直ちに輸血の必要性を判断し、血液を発注すると同時にCRCをクロスマッチテストを経ないで輸血しながら手術に入る以外に春巳を救命する道はないなどとの、右認定に反する供述ないし記載があるが、右各証拠部分は前掲各証拠に照して信用することはできない。

(1) 仮に吉崎医師が、春巳について、腹腔内出血による出血性ショックを念頭において、継続的な腹部の観察や血圧、脈拍、呼吸数等のバイタルサインの測定をしていたとしたら、春巳のバイタルサイン等が順次悪化していく様子(少なくとも午後九時四三分頃には春巳の呼吸状態が悪化していた。)と進行性の腹部膨隆が観察できた。

そして、友紘会搬入時の春巳の血圧等から推定される出血量は、少なくとも二〇〇〇ミリリットルであり、この時点で仮にエコーを行っていたとしたら腹腔内に貯留液が有ることが直ちに診断でき、また、この時点で直ちに血液検査を行っていたとすると約二〇分後の午後九時五〇分頃には血液検査の結果が出たといえる。

右臨床所見と検査結果に加えて受傷機転や来院の経過等を総合すると、当時の救急外傷患者の診療に当たる医師としては、少なくとも午後九時五〇分頃には、腹腔内出血による出血性ショックの診断をし、緊急に輸血をすべきであるとの判断ができた。

(2) 通常輸血の準備には、血液型検査、血液到着、クロスマッチテストに時間を要するが、血液型検査は極めて短時間で結果が出ること、本件当時友紘会病院には春巳の血液型と同型のCRCが六本、FFPが二〇本保存されていたので、本件においては血液の到着に時間を要しなかったといえることから、午後一〇時までにはFFPの投与は可能であったといえる。

CRCについては、通常はクロスマッチテストを行ってから投与されるので、右テストに通常要する時間(三〇分程度)を考慮しなくてはならないが、緊急に輸血をすべき場合にはクロスマッチテストを経ないでCRCを投与することが許され、本件では、少なくとも午後九時五〇分頃の春巳の状態からすると、クロスマッチテストを経ないで緊急に輸血すべきであるとの判断ができるので、午後一〇時頃にはCRCの投与ができた(なお、本件では、被告林が輸血の準備を指示してから約四〇分を経過した時点で春巳に対しCRCをノークロスで輸血しているが、右時間は、通常CRCをノークロスで輸血するのに要する時間としては明らかに多大であるので、本件において現実にCRCをノークロスで輸血したのに要した時間をもとにすることはできない。)。また、FFPを投与して患者の全身状態の維持に努めながらクロスマッチテストをしたとしたら、午後一〇時三〇分前にはCRCを投与することができた。

(3) 手術については、仮に吉崎医師が午後一〇時の段階で春巳については開腹手術の必要性があるとの判断をしていたとすると、被告林が友紘会病院に到着するのに約一五分、手術の準備に約一時間一五分(本件では、被告林が手術の必要性について判断をしてから現実に手術が開始されるまでに要した時間は約一時間一五分ほどであったことから、手術の準備には右程度の時間を要すると認められる。)を要するから、遅くとも、午後一一時三〇分頃には手術が開始できたといえる。

(4) 午後一〇時頃に春巳に対しFFPを含めた血漿製剤及びCRCの急速投与が開始されていれば、春巳のショックの状態は軽度の症状でとどまった可能性がきわめて高く、そのうえで春巳に対し実際の手術開始時刻(九日午前〇時一五分頃)よりも相当に早い前記時刻(午後一一時三〇分頃)に開腹手術が開始されていれば、春巳は救命できた。

右認定の事実からすると、本件において、吉崎医師に前記(一)認定説示の注意義務違反がなかったとすれば、春巳を救命しえたということができる。

(三) 被告林が、吉崎医師を本件当時同被告が開設する友紘会病院における当直医師として雇用していたこと、吉崎医師の前記(一)認定説示の診療上の過失が被告林の医療業務の執行としてなされたものであることは、前記二で認定したところから明らかである。そうすると、被告林は民法七一五条一項により損害賠償義務がある。

四原告らの損害

1  春巳の損害

(一)  逸失利益

本件において、春巳が本件事故に遭わなければ、原告が主張するように少なくともその後六年間は就労し男子労働者の平均賃金程度の収入を得ることができたことを認めるに足りる証拠はない。かえって、前記二で認定した事実及び弁論の全趣旨によると、春巳は、死亡当時七〇才の男子で無職であったことが認められ、右事実からすると、本件事故に遭わなくとも今後就労した可能性はほとんどなかったものと推認できる。

(二)  慰謝料

被告林の責任の前提となる、前記三3(一)認定説示の吉崎医師の過失の態様その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌すると、春巳の死亡による慰謝料としては一二〇〇万円が相当である。

(三)  春巳の損害賠償請求権の相続

前記一認定のとおり、原告田代、同小山、同中村はいずれも春巳の子であるので、それぞれ法定相続分に従い、右春巳の慰謝料の各三分の一にあたる四〇〇万円の損害賠償請求権を相続したものである。

2  葬儀費用

<書証番号略>によると、原告中村は、春巳の葬儀費用として五六万四六〇〇円を支出したことが認められ(なお、その余の葬儀費用の支出については、これを認めるに足りる証拠がない。)、右全額をもって本件事故と相当因果関係の範囲内の損害ということができる。

3  原告らの固有の慰謝料

前認定の被告林の責任の前提となる吉崎医師の過失の態様その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌すると、春巳の死亡による原告ら固有の慰謝料としては各原告について一〇〇万円が相当である。

4  弁護士費用

本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等の諸般の事情に鑑み、弁護士費用として、原告田代、同小山においては各七五万円、原告中村においては八三万四六九〇円が、本件事故と相当因果関係の範囲内の損害といえる。

五結論

以上のとおりであるから、原告らの請求は、被告林に対し、不法行為による損害賠償として、原告田代及び同小山において、それぞれ前記四の損害金合計五七五万円、原告中村において同六三九万九二九〇円及びこれら各金員に対する春巳の死亡の日である昭和六二年七月九日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、被告林に対するその余の請求及び被告相原に対する請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松尾政行 裁判官山垣清正 裁判官明石万起子)

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